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池袋駅東口、徒歩1分といった立地条件に恵まれているキンカ堂。3月に倒産してしまった。関東の人しか理解できないと思うが、キンカ堂は老舗の大型生地店である。それがデパート業にまで業務を拡大していた。 私の地元(館林市)にもキンカ堂はあった。当時、館林には他のデパートは無く、駅近のキンカ堂は館林のシンボルだった。地下1階、地上4階の館内には幾つものテナントがあり、高校生の頃はほぼ毎日、帰宅途中に買い物をしていた。 小学生の頃、私の学区は市内のはずれに位置しており、学校の規則で「児童だけで市街地に出てはいけない」ことになっていた。しかし規則は破りたくなるものである。子供の頃の私はゲーマーだったが、近所の駄菓子屋に1台だけ設置してあるだけであった。これだけでは満足できないので、頻繁に市街地のゲーセンに出掛けていた。そのゲーセンも軒並み閉店に追い込まれ、最後に残ったキンカ堂内のゲーセンに通っていた。しかしそこがデパートである為、母親と一緒に買い物に来ていた同級生に目撃され、先生にチクられた。私の学校にはこういったゲーマーがおらず、異端児として見られた私は不良扱いされていた。 高校の終わりの頃、県外の大都市の大きなデパートに足を運ぶようになった。県外の大規模なデパートにハマった私は地元のキンカ堂から足が遠退いた。 私は95年春に上京した。キンカ堂は地方都市のマイナーなデパートとしてしか思っていなかった為、池袋にキンカ堂があったことには驚いた。池袋店はパッチワーク関係のみの店であり、私には無縁と思われがちだが、長い独り暮らしを続けていると、本来は女の仕事である裁縫も覚えるようになり、カーテンやテーブルクロスの制作の為に利用するようになった。 私が一時帰省した頃、現在の地方都市ではブームになっている「郊外の大型ショッピングモール建設」の動きが出ていて、館林にも小型なショッピングモールが完成した。しかも私の実家から徒歩圏である。これにより15年間もキンカ堂に行かなくなった。やはり他の人も同じである。キンカ堂の集客率は激減し、数年前に館林店は閉店した。やはり近隣の店舗も同じである。池袋店の集客率はまずまずだったのだが、本社が閉鎖を指示すればどうにもならない。 現在では実家に居候の身である不肖の私は、最近何気なく池袋を訪れた。8年間を桜台で過ごし、長距離移動で利用するJRの駅は池袋を使用していた。帰りは必ず池袋で食事をしていて、東口の繁華街は知り尽くしている。キンカ堂での買い物も多かった。そのキンカ堂前を通り過ぎた時、その閉店を惜しむ声の多さに驚いた。倒産したキンカ堂は、店舗の不動産が第3者に移っており、閉められたシャッターにはそれを知らせる張り紙があった。それを囲むように、感謝の気持ちと惜しむメッセージが寄せられていた。ファッションの個性は地方都市よりも都会の方が濃い。ブランドの洋服を買うのではなく、シンプルな洋服を自分の手でアレンジする志向が流行っている。ナンバーワンよりもオンリーワンである。そのアイテムが豊富に置かれている貴重な店だった。私もこの志向が強いので、ブランド物には興味が無かった。その志向を共感し合える場は、建物の取り壊しさえ惜しい状況を作っていた。 閉店したキンカ堂池袋店前にて。 閉店の張り紙を囲むように多くのメッセージが張られている。みんなここで書いたわけではなく、自宅で制作して持ってきたのだろう。みんなが一斉に張り付けたのではなく、1人の張り紙が多くの共感を呼んだ結果である。 |
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