K Ishikawa  Naked Desire

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<<   作成日時 : 2008/12/02 02:37   >>

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私の街(館林市)ではない。同じ群馬県なのだが、ザスパのある街は、群馬県西部の吾妻郡草津町である。国内有数の温泉地として有名である。温泉地とあって、国内から多くの観光客が訪れるのだが、それ以外は何も無い街である。草津町は鉄道が走っておらず、隣接した長野原町からバスで訪れることになる。その長野原に向かう鉄道はJR吾妻線であり、高崎から1時間毎に出ている。ほとんどが無人駅である。温泉客の為に特急電車が走っているのだが、それでも訪れるには不便な場所にある。秘境的な雰囲気は味わえるのだが、この街でサッカー活動をしていくには無理がある。現在のJリーグのチームの中で、最も小規模なホームである。町内に高校、大学は存在しない。

私が上京してから13年が経過しているのだが、現在でも地元贔屓がある。だから同じ群馬県にJリーグのクラブが誕生したのは嬉しかった。93年のJリーグ開幕当時は、ほとんどのチームが企業からの独立チームなのだが、現在の新加入チームは、最初からクラブとしてスタートしたチームが多い。ザスパは完全なクラブチームとしてのスタートした。資金面の問題もあり、プロ契約選手は僅かであり、ほとんどの選手が別の仕事を持っていた。その選手の為に、草津町の旅館組合が協力して、選手を雇用した。地元ならではの協力である。
この頃はJFLに所属していたのだが、地元を盛り上げる為に強引に公式戦を行った。草津町の町営球技場はただの球技場である。観客席なんて無い。急遽、即席のスタンドを用意して行われた。それほど盛り上がっていた。人口の少ない街で、芝生のサッカー場があるだけでもマシかも知れない。
晴れてJ2に昇格して、ほとんどの選手がプロ契約を果たしたのだが、ここで問題が起きる。J2に昇格する条件は、何もJFLの上位入賞だけではない。監督のS級ライセンスの保持、選手の大半のプロ契約、一定以上の観客を収容できるスタジアムの使用、そのスタジアムが照明付き、ということである。JFLを勝ち上がる実力はあった。かなり赤字を出しながらも監督と選手の契約も解決した。あとはスタジアムの問題である。草津町にそんな大規模なサッカー場や陸上競技場は無い。今から建設するには莫大な費用が掛かる。そんな費用は無い。県からの補助金も無理である。Jリーグで活動するには、他の町で活動するしかないのである。スタジアムは前橋市の県営サッカー場を使用している。前橋は草津からかなりの距離があるのだが、草津町にスタジアムを建設できない以上しょうがない実情である。さらに冬季の草津町は冷え込みが一段と厳しい。その為、町営の練習場は凍結してしまうので、練習場すら前橋市内に移してしまった。現在ではトップチームは前橋で活動していて、草津町との関わりは、事務局が町営の施設内に存在していて、下部組織のサテライトチームが旅館街で働きながら、町営の施設で練習をしているだけである。
ザスパがJ2に昇格してからは苦悩が続いた。クラブの赤字経営を何とかする為に、詐欺まがいの行動まで試みるようになった。JFL時代の公式戦の地元開催に関して、即席の観客席受注の自治体の補助を水増し請求していたのである。そこまでするほど経営が苦しかったのだろうか?Jリーグ事務局は、解散の危機にあるチームに対して、経営費の補助を行っている。その制度を利用したのはザスパだけである。かつてサガン鳥栖が経営危機に陥ったことがあるのだが、この制度を利用するまでは至らなかった。ザスパはそこまで落ちぶれていたのである。地域リーグからJ2に昇格するまで期間は短かった。その短期間で多くのサポーターを得たとはいえない。まして、活動の拠点を前橋に移している。旅館街を中心とした協力が、前橋市内では受け入れない部分もある。前橋を本拠地としていても、草津という看板を持っている以上、草津町のチームである。だから前橋市民に浸透できていない部分がある。

かつて日本代表のGK小島伸幸が所属していた。アビスパ福岡がJ2に降格したのを機に、選手としての最後を地元で過ごす為に移籍してきた。コーチ兼選手として群馬リーグから勝ち進み、J2昇格に大きく貢献した。「オヤジGK」との愛称で、ザスパの顔として活躍してきたのだが、さすがにピークを大幅に過ぎていた。その小島も2年前に引退している。
現在のザスパの顔は鳥居塚伸人である。最年長のチームリーダーは、若手選手を引っ張る大黒柱である。高校時代は天才司令塔として、将来を有望されていた。前橋商業1年から司令塔(現在のトップ下)のポジションを不動とし、2年連続全国選手権ベスト4に導いた。ますます期待が膨らんだ3年時なのだが、最後の冬は県代表を逃した。大学に進学したのだが、大学時代には目立った活躍はしていない。卒業後はJリーグのチームからの誘いは皆無だった。これでサッカーを辞めるつもりだったのだが、JFLのコスモ四日市に入団した。しかしこのチームが解散する。移籍先が確定していた数少ない選手に鳥居塚の名前が残っていた。次の活動場所はコンサドーレ札幌である。この札幌をJリーグ昇格に貢献する。かつて天才少年と呼ばていた鳥居塚なのだが、Jリーグの表舞台に立つのに多くの苦労と回り道をした。その年のJリーグは、翌年に控えた2部制に対して、降格を決める最下位争いの逆トーナメントを行った。このトーナメントで勝てば降格の危機を脱出。負けたチーム同士で争い、最後まで負け越したチームが降格である。この年に限り変則的な入れ替え戦を行った。この争いに敗れ続けた札幌は、わずか1年で降格した。ここで大量の選手リストラが始まり、鳥居塚もその中にあった。鳥居塚のJリーグは1年間という短いものであった。
鳥居塚は群馬に戻り、母校の前橋商業のOBで作った図南SCというアマチュアチームで活動する。そのチームを群馬リーグから関東リーグに昇格させ、その後ザスパに移籍した。

その鳥居塚に戦力外通告が渡された。年齢的にこれが最後だろう。今年のザスパは好調であった。去年までは最下位争いをしていたのだが、今年は中位に付いている。チームの若返りもあるだろう。鳥居塚の体力の限界もあるだろう。札幌と草津を昇格させて、自らのJリーグ生活を過ごした男はここで幕を閉じる。 

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